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具体と抽象の曖昧化 [科学と技術一般]

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この頃感じるのは,具体的なものと抽象的なものの区別が曖昧になっているのではないかと言う事です。

前にも触れましたが,基板の事を基盤と書く間違い等はその一例ですが,単なる変換ミスと見過ごせない問題があるような気もします。なぜなら,「基板」という全く具体的なものと「基盤」という抽象的な概念を取り違えるおかしさです。

アプリで何でもできてしまう?かの様な錯覚。これもおかしなことです。
アプリとは,アプリケーション・ソフトウェアの事であり,物事の処理手順の取り決めです。具体的な動作を実現するハードウェアが完備していなければ,本来何もやり様がありません。現在のスマホやタブレットには入出力装置に加え大概のセンサー類などのハードウェアも完備しており,通信機能も使いつつそれらを連携させて様々な有用な処理や動作をさせるのをアプリが担っているわけです。

ハードとソフトの区別を曖昧にしてしまう要素があるのは事実です。一つの例が制御かも知れません。制御系はハードウェアだけで構成するのが,かつての制御系でした。ハードウェアも当初は機械的なもののみだったのが,電気電子系が入ってきました。そこにコンピュータを使ったソフトウェアが入ってきました。現在の家電品などは「組み込み系」と言われるコンピュータのハード・ソフトが装置と一体となったかのように振舞っています。クルマも随分前から組み込み系になっています。エンジンという機械的なハードウェアを変えなくても,ソフトウェアの変更だけで特性ががらりと変わってしまうのです。ソフトでエンジン特性が変わると錯覚しても無理はありません。電気自動車になれば,駆動の制御は更にきめ細かくできます。極端な話,制御を巧みにやれば,雪道を普通タイヤでぎりぎりスリップさせない事だって出来てしまいます。もちろんハードウェアの限界内で如何にうまく運用するかですが。

制御はもちろんのこと,組み込み系もすでにホットなキーワードでは無くなり,AIやIoTが喧伝されます。前者は旧来のハードとソフトの分け方で言えば,ソフトの分野が大きく発展したものと言えるでしょう。後者の基となるネット技術の元は通信ハードなわけですが,信号のやり取りなどのレベルからソフトとの区別が曖昧となり,最表層で活躍しているのがアプリケーションソフトとなり,やはりアプリで何でも出来てしまうような錯覚に陥ります。ハードとソフトの区別がこれまた曖昧化しています。

AIの活用も,IoTの進展も普段我々がそれがどう作られているか殆ど意識しない水道や電気と同じようになるでしょう。当たり前になれば,その言葉も無くなることでしょう。私に少し認識があるAIブームに関して言えば,80年代だったと思います。LISPやPROLOGといったプログラム言語を用い,熟練者のノウハウを溜め込んでその代わりをさせるエキスパートシステムなどが脚光を浴びました。その頃が第2次のAIブームと言われるのだそうです。同システムは成功事例らしいですが,その後ぱたりと聞かなくなっていました。

さらにその前の「電子頭脳」などと喧伝された時代が「第1次」のブームで60年代くらいで70年代にブームは去っています。理論は進んでも計算機の処理能力が追いつかなかったようです。

現在は第3次のブームだそうです。第2次が去った後,脳の研究の進化やハードの進化,データ収集の容易化などで,処理層を深くできることがブレークスルーとなったようです。

普段の仕事に現れるちょっとした最適化問題などは,AIにやらせた方が良いでしょう。むろんAIを使わなくても出来る問題は多いと思いますが,鶏を調理するのに牛刀を用いるのもまた時代の流れというものでしょう。現在のパソコンやスマホの利用なども鶏を調理するのに牛刀どころかレーザーメスを使っている様なものだと思っています。それこそ,スマホのアプリなどそれとは知らずにAI手法が組み込まれ,組み込まれつつあるのではないでしょうか。

人の採用人事などにAIを使う事も検討されているようです。上手く使いこなせれば良いでしょうが,うまく管理できないと弊害も出る事でしょう。まあ,何でも出来るという幻想を持たず,その効用と限界を知る事が重要でしょう。ロボットと人間が相撲を取ったって勝てるわけがありません。体力の補助を機械に求めるのと同じように知力の補助としてAIを使うのは良いですが,将棋や囲碁でAIと人間が勝負して勝った負けたと騒いでも仕方がありません。如何に複雑であれ有限な手数のゲームならAIが勝つのは時間の問題でしょうから。

むしろAIに任せられる事に人間の脳を使うのは,今時人力で穴を掘ったり杭うちをしている様なものです。賢くならないといけません。もちろん,体を強く巧みに動かすスポーツ競技がある様に,人間同士の知力の競技があるのはOKだと思いますが。

少なくとも,我々生身の人間は,

目的と手段の混同。
課題と問題の混同。
結果と結論の混同。
原理と原則の混同。

などに気付く必要があると思います。注意してみると,案外これらの事項をごっちゃにしたり,取り違えて議論している事も多いものです。思考の詳細はAIに任せるにしても,その枠組みくらいはしっかり把握しておきたいものだと思います。理念,好み,責任などは生身の人間の属性だと思います。AIに人格を認めるなら別ですが,これらは人間が握り,それらを最適化する単純思考はAIに任せるのが良いのではないでしょうか。

ビットコインが話題になります。おカネも仮想化したと。でも元々おカネは信用という仮想のものですから,もともと抽象的なものです。現金と言ったって紙切れにすぎません。AIはカネ儲けにも使われ(てい)るでしょう。怖いのは犯罪に使われることです。犯罪捜査にもAIを使わざるを得なくなって,いたちごっこになってしまいます。

分野によらず具体と抽象が曖昧化する中,なるべく物事の本質を自分の頭で見極めて行かないと危ないと思う今日この頃です。
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アヨアン・イゴカー

興味深く拝読致しました。
AIを人事採用に使うというと、今年全日空が総合職採用にGROW(5人の友人による自分に対する評価)を使用していました。次年度には学生も対策をするでしょうし、企業側もGROW対策してくる学生に対抗して微調整をすると思います。なんでもいたちごっこになるのではないでしょうか。

ハードとソフトと言う考え方ですが、音楽で言えば楽器はハード、楽曲や演奏はソフトに該当すると思われます。楽曲は作られる段階ではソフトですが、一旦楽譜になってしまうとハード的な要素が強くなるように思います。
パソコン本体はハートで、それを使うために様々なソフトウェアが開発されます。例えば、エクセル。表計算ソフトでしたが、それを更に活用する為にVBAなどが使われる。こうして、ソフトの中に更に別の階層が出来上がり、当初に作られたソフトがいつの間にかハード的なものになっている、そのような印象を持ちました。
by アヨアン・イゴカー (2018-01-14 10:43) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,見通し効かないながらも日頃感じていることを書いてみました。
いつ頃からか人事採用が大変な仕事になってしまったので,企業などもその省力化策は必要でしょう。ただ企業活動も人が源ですから,AIの活用も判断を間違わないよう留意すべきでしょう。きっと学生側(そちらを支援する企業側)もAIを活用してくるでしょう。例えて言えばAI同士が将棋を指して人間が観戦しているような愚かなことにならないようにすべきでしょう。
ソフトとハードの混淆はあって良いものだろうと思います。それが技術の進歩だろうと思いますが,利用者側も正しい認識を持つことが必要だと思います。
by Enrique (2018-01-15 07:08) 

アヨアン・イゴカー

>AI同士が将棋を指して人間が観戦

ふと手塚治虫の鉄腕アトム『地上最強のロボット』を思い出しました。最強のロボットを作ってはその力を競わせる。軍拡競争をもじったのだと思いますが、考えさせられる物語でした。
それは、古代ローマの剣闘士の戦いを見て熱狂する、ローマ市民の残虐さ、愚かさでもあります。
by アヨアン・イゴカー (2018-01-15 08:42) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,まったく仰る通りです。
バックに大国がつく代理戦争のごとくに,自分たちは痛みを感じずに人にやらすほど罪なものはありません。そんなことをやっているうちに自らも滅ぶということを認識しないといけませんね。
by Enrique (2018-01-17 06:09) 

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