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余計な事を考えないようにして生きている [雑感]

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ものを捨てられない人がいます。

どちらかと言うと私がそうです。しかしそうゴミ屋敷にはなっていません。
妻が片づけ性だからと言うのもありますが,もう一つ原因はあります。ケチなので決して気前よくはものを買わないからです。決して壊さず寿命以上に使いきるのがモットーです。使えるものを捨てるなんてもってのほかです。

とうに成人している上の娘が小学低学年だったころ,使っていたハサミが壊れてしまいました。支点部分のプラスチック製のリベットが壊れたので,金属のビスで留めて修理しました。却って以前より丈夫になり,しめしめと思っていました。

「おへそがぎんいろのハサミがカッコイイ」とか言われて,担任の先生から親の愛情が感じられると絶賛されましたが,娘への愛情も多少はあったのでしょうが,単にケチでまだ使えそうなモノがもったいないという気持ちだけでした。娘への愛情ならば,新しいものに買い替えてやる方が良かったのかもしれません。担任の先生には「モノを大事にするという教育的意味もあるのだ」と,エラそうな事を言った記憶があります。

昔話はさておき,ギターは何本か持っております。
「ピアノは一台だから,ギターも一本で良いはず」だと妻は言います。確かに以前あったアップライトは整理してしまいました。現在電子ピアノを除けば,グランド一台だけです。

「女は着ない着物でも箪笥に持っているだけで満ち足りた気分になれる。」と昔母親が言っていました。精神衛生上よろしいならそれはムダで無い事になります。

良くは知りませんが,断捨離ブーム。「こんまり」さんの「ときめないものを捨てる」と言う名言はありますが,ときめかないものを買った時点で間違っていたのではないかとも思います。早晩捨てるものを買ったというのがムダな行為だと思います。ただし,ムダ・ムダ言いだすと,生きて生活している事自体がムダに見えてきます。本当にムダでない事など一体どれだけやっていると言うのでしょうか?芸術やスポーツなんでみんなムダに見えてしまいます。むしろ,人々の買って捨てるという行為が経済活動を支えています。ムダを排除して行った先に,いったい何が残るのでしょうか?玉ねぎの皮をむいて行ったら何も残らなかった。と言う事になりかねません。

極論すれば人間の活動など,殆どはムダではないかと考えます。本当に意味のある行為などほんのわずかだろうと思います。楽器を弾くと言う行為,これも限りなくムダな事になります。もちろん,音楽は人間に必要なものと認めても,それは専門家に任せておけば事足りると。何もど素人が血道を上げる必要も無いと。

そうすると,クラシカル・ギターを止めてしまう事になるので,それは考えない事にします。この様に,「余計な事を考えないようにして生きている」というのが現在の我々の生き方の様にも思えます。

実は練習などでムダを省いて時間を有効に活用することについて書こうと思って書きだしたのですが,なにやら逆の様な結論になってしまいました。
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アヨアン・イゴカー

本当に欲しいもの、必要な物のみを買う。そして、物を捨てられない、使えるものは修理して使う、使えなくなったら惜しみながら処分する、私も同じです。

ギターの場合には、何台も持ちたくなるのが自然であるような気がします。
我が家には妻が彼女の母から譲り受けた鈴木バイオリンと私が買ったチェコ製のバイオリンがありますが、弾き心地も音色もまるで違って、同じ形をしているのに本当に面白いものだと思っています。前者は、音は出やすいがオカリナのように籠もって聞こえる、それがまた独特の味になっている、片や乾いた木の音がする、音程が取り辛い・・・など。

何を以って無駄と定義するかは、個々人によって大いに異なるでしょうし、何も考えていない人(一見、悟りきった禅僧のようにも見える人)も沢山いるような気もします。非常に哲学的な問題だと思います。

私の場合判断基準は至って単純で、それがなければ生きる意味を感じられない、そういうものをやり続けているだけのようです。上手いか、好い作品かどうか、他人が判断することで、仮令下手であろうが、詰まらないと思われる作品であろうが、自分はそれをやらずにはいられない、自分と言う人間はそれがなければ存在意義がなくなる、こういった簡単な理屈で自分自身納得しています。コアラがユーカリばかり食べるように、それがないと死んでしまう、そんな風に感じる、ということではないかと。
by アヨアン・イゴカー (2018-04-10 23:32) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
ムダの定義は人によって大きく異なる,それに尽きるのでしょうね。
ゴミとしか思えない様なものでも大事にする人もいるわけで,当方の趣味でも人様から見たらそういう面もあるのかもしれません。蝶の標本など単なる気持ち悪いゴミでしょう。
楽器に関しても本当は色々欲しいわけですが,収納スペースの問題や妻からのプレッシャー,経済面の事情によって一定数に落ち着いているだけですね。
「それがなければ生きる意味が感じられない」という判断基準,私の場合もいくばくかの妥協をはさんでそういうことだろうと思います。肉親のような根源的必要感,それによりモノに対する態度も異なってくるのではないかと思います。

by Enrique (2018-04-11 06:18) 

majyo

私も似たようなところがあります。
徹底的に使ったり、修理する
自分ではケチではなく始末やと思っていますが
同じような事ではないでしょうか
ただし直せないので買う事になります。
衣類などは買わなくても増えてきます。ここ数年着ないものや
着古したものはたいぶ処分しました。
年と共に減らしていこうと思っています。
Enriqueさんの場合は美徳だと思いますよ

by majyo (2018-04-11 07:05) 

Enrique

majyoさん,兄がモノを気前よく買ったり人にあげたりする人だったのでその反動かも知れません。十分使ってから捨てるのはあまり惜しくは無いですが再利用できないかと常に考えていますが,最近はそれにかける手間や時間のロスを考えて,捨てる様にはしています。
ろくに使いもせずに捨てるのはモノに対する冒涜だと思っています。
衣服は妻に任せていますが,着古した下着類は洗ってウェスや雑巾などにします。布を捨てるのも抵抗があります。
by Enrique (2018-04-11 07:38) 

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